金曜日, 2月 22, 2013

「いただきます」--- いのちをいただく

Facebookの投稿で心に滲みる深い話があったので引用シェアさせていただきます。

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「いただきます」って、日本ならではの言葉なんだそうです。

だから、この言葉を知らない外国の人は、「いただきますって、何ですか?」「それは、神に対する祈りですか?」と聞いてきます。

もしもですよ、みなさんが子どもたちに、「なんで食べる前に『いただきます』って言わなきゃいけないの?」って聞かれたとしたら、どう答えますか?

たぶんですね、みなさんは、「それはね、命をいただく動植物、食料を生産してくれた人、そして調理してくれた人に感謝するためなんだよ」って答えるんじゃないかな、と思うんですけど、子どもたちにその話をして、はたしてどれくらいの子どもたちが心から納得するでしょうか?

よく考えてみるとですよ、子どもたちはおそらく、似たようなことを何回も聞いているはずなんです。
でも、残念ながら、それが多くの子どもたちの心に響いていないのが現状ではないでしょうか?
それどころか、給食指導の時間にですよ、
「ちゃんといただきますを言わんね!」
「ごちそうさまは?」
「はい、合掌していない人がいるからやり直し!」
なんて、つい言ってしまうことって、ありますよね?

中学2年生の理科で、「動物の生活と種類」という単元がありまして、その中で動物と植物の違いについて学習します。

動物と植物の一番の違いは何か?

それはですね、「動物は、食べるために動かなければならない。植物は、食べる必要がないので動かなくていい」です。

植物は動けない、じゃないんです。
動かなくていいんです。
なぜか?
生きていくための栄養を、自分の力で作り出すことができるからです。
私たち動物にはそれができません。
だから、どうしても他の生き物を「食べる」必要がある。

動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと私は思います。

私たち動物は、そんな他の生き物の「いのち」を奪わなければ、一時も生きていくことができない、悲しい宿命を背負った生き物なんです。

食を考えることは、命について考えることです。
このことを、どうやって子どもの心に響かせるのか、そして、どうやって子どもの心に火を灯していくのか、それが、きっとプロとしての教師の仕事なんだろうと思うんです。

私の心に深く残っているお話が二つありますので、ここでご紹介します。

一つは、九州大学大学院助教授の佐藤剛史先生が書いた、
「自炊男子~『人生で大切なこと』が見つかる物語」
の中に出てくるお話です。

土曜日, 2月 16, 2013

敗者復活戦で再び淡路島へ

先週に続き、春季大会西部ブロック予選 敗者復活戦で 再度淡路島へ。
今日は第一球場。



第三試合で14:00開始の予定が、前の試合が延長戦だったこともあり30分遅れ。
16:30を過ぎて5回終了していなかった場合はノーゲームで翌日再試合という取り決めで始まった試合、6回が終わった時点で16:18。

(立派なスコアボード!)

この時点で同点のため抽選が行われ、6−3で次の試合への切符を手に入れた。
久々で公式戦で「負け」じゃなかった ^_^;

息子は終盤1イニング半 ライト守備に入った。
(外野フェンスの広告が・・・ ^^;

今回の遠征は念のため選手は乗せず、道具類のみを積載。
(先週故障したオルタネーターはリンク品と交換修理済)

来週は土・日のどちらかが次の試合。
会場はまだ未定。(社・伊丹・三田・淡路等何ヶ所か会場が分散している)
あと2回勝てば本戦出場権が得られる。

レギュラーメンバーの半数が1年生のチームだから どこまで踏ん張れるか・・・。


土曜日, 2月 09, 2013

淡路島遠征 & オルタネータートラブル

本日 中学硬式野球の大会が淡路島で開催。
クルマ7台連ねて遠征。



ところが往路半ばで時折スピードメーター、タコメーターが異常な動き。併せてバッテリー系統警告灯も時々点灯!
途中淡路SAから 自動車修理工場経営している友人に電話でアドバイスを仰ぎ、何とか無事に試合会場到着(先発ピッチャー乗せていた)。

帰路、出発してまもなくの一般路走行中に突然エンジンストール。
その時はセル1発で問題なく再始動。
メーターの挙動不審もなかったが、しばらくしてバッテリー系統警告灯点灯。

友人から電話で聞いていた「オルタネータートラブル」との仮定で、バッテリーに蓄えられた電気容量のみでプラグのスパーク可能と想定し、少しでも自宅近くにまで戻る事に専念。

まず第1目標 明石海峡大橋を渡って本州に戻ること。
次の目標は須磨。その次は生田川。そして最終目標は尼崎西。
ここまで戻れば友人の修理工場まで牽引で行ける範囲。

須磨を越えた辺りから、ビルトインカーナビの液晶パネルが勝手に閉じ電源も入らなくなった。
生田川を越えた辺りからはトラクションコントロールシステムとエアバッグの警告灯点灯。
気分的には 空戦で被弾し、エンジン片一方失い 更に燃料タンクにも穴があき その状態で空母に帰投しようとしているような状態。ずっと心拍数も高かった(きっと血圧も・・・)

そして尼崎西の一つ手前 芦屋出口の手前辺りでは その警告灯さえ暗くなってきた。
この辺りが限界、と助手席の三男に「一つ手前のここで降りる」と告げ、芦屋出口で阪神高速を降りる。
西宮戎神社の横を通り、国道2号線に出る約50m手前でエンジンストール。(エンジンストールするとステアリング、ブレーキのパワーアシストが失われるので非常に危険!)
先行車との車間距離も保っていたので追突もせずに停車。後続車にもハザードランプ(弱々しい)とドアを開け手で合図。
高速降りてわずか300〜400mの事だった。

乗っている団員3名には予め言ってあったので、エンジン停止するなり 車から降りて近くの安全な場所に移動するの手伝ってくれた。
その後 自動車任意保険のロードサービス要請と チームからの迎えのクルマ要請連絡。

約30〜40分後にレッカー車とチームの迎えのクルマ到着。
子供たちと荷物を迎えのクルマに乗せた後、レッカー車に故障車積載し、日本カードックへ。

修理は休み明けになるとの事だったが、高速道路上でなく一般道路上 しかも限界ギリギリまで帰って来れたのが幸いだった。
強気で芦屋出口で降りなかったら おそらくその先1km以内で停車していたに違いない。 そうなるとレッカー車もチーム救援車もなかなか来れなかったに違いない事を考えると、「なんとラッキーな!」と思わざるを得ない。
まさに被弾しながら空母に帰投を試み、目視できるところまで来て不時着水、クレーンで吊り上げられた・・・というような感じ。
芦屋で降りたのは やはり何かのインスピレーションだったのかも。


新車購入直後から2年かけてNHKテレビの四国八十八ヶ所ロケに同行し、ロケ隊の中では唯一 最後高野山まで行ったクルマ。
そういうこともあってなかなか乗り換えられないでいたわけなのだが、今回もまた何とか持ち堪えてくれたようで 更に愛着が湧いてしまった。

リスキーではあるが 永年付き合っていると不調の具合もなんとなくわかる、と思っているのは気のせいか?

今日は正直疲れた・・・(~_~)

あ、肝心の息子たちの野球の試合(日本リトルシニア中学硬式野球協会関西連盟春季大会西部ブロック予選1回戦)は 岡山のチームと対戦し 0−4xで敗れました。^^; (息子は前半 右翼手で出場。送りバントは成功)








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