金曜日, 1月 27, 2017

ジョージ・カーリンの手紙「この時代に生きる私たちの矛盾」



ビルは空高くなったが
人の気は短くなり

高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり

お金を使ってはいるが 
得る物は少なく

たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり

より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく

知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている

薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない

長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ

ジョージ・カーリン
====== 以下英文 ======

The paradox of our time in history is that we have
taller buildings but shorter tempers, wider
freeways, but narrower viewpoints. We spend more, but have less,
we buy more, but enjoy less. We have bigger houses and
smaller families, more conveniences, but less time.

We have more degrees but less sense, more knowledge,
but less judgment,
more experts, yet more problems, more medicine,
but less wellness.

We drink too much, smoke too much, spend too recklessly,
laugh too little, drive too fast, get too angry, stay up too late,
get up too tired, watch TV too much, and pray too seldom.

We have multiplied our possessions, but reduced our
values. We talk too much, love too seldom,
and hate too often.

We’ve learned how to make a living, but not a life.
We’ve added years to life not life to years. We’ve
been all the way to the moon and back, but have
trouble crossing the street to meet a new neighbor.

We conquered outer space but not inner space.
We’ve done larger things, but not better things.
We’ve cleaned up the air, but polluted the soul.

We’ve conquered the atom, but not our prejudice.
We write more, but learn less. We plan more,
but accomplish less. We’ve learned to rush, but not to wait.
We build more computers to hold more information,
to produce more copies than ever,
but we communicate less and less.

These are the times of fast foods and slow digestion,
big men and small character, steep profits
and shallow relationships.

These are the days of two incomes but more divorce,
fancier houses, but broken homes.

These are days of quick trips, disposable diapers,
throwaway morality, one night stands, overweight bodies,
and pills that do everything from cheer, to quiet, to kill.

It is a time when there is much in the showroom window
and nothing in the stockroom. A time when technology
can bring this letter to you, and a time when you can choose
either to share this insight, or to just hit delete.

Remember, spend some time with your loved ones,
because they are not going to be around forever.

Remember, say a kind word to someone who looks up to
you in awe, because that little person soon
will grow up and leave your side.

Remember, to give a warm hug to the one next to you,
because that is the only treasure you can give
with your heart and it doesn’t cost a cent.

Remember, to say, “I love you” to your partner and your loved ones,
but most of all mean it. A kiss and an embrace will mend hurt
when it comes from deep inside of you.

Remember to hold hands and cherish the moment for
someday that person will not be there again.

Give time to love, give time to speak, and give time
to share the precious thoughts in your mind.

AND ALWAYS REMEMBER:

Life is not measured by the number of breaths we take,
but by the moments that take our breath away.

George Carlin

水曜日, 1月 25, 2017

座右の銘


40年前から「座右の銘」としていたDuane Allmanのメッセージ。
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どこに行っても、結局は同じことなんだ。
いい人間がいると思えば、どうしようもないバカもいる。
生きていくためには、この2種類の人間を見分けなきゃならない。

だけど、誰かにとっては鼻持ちならない奴でも、ほかの誰かにとってはいい奴なのかもしれない。
だから、誰に対しても気持ちよく振舞って、誰に対しても敬意を忘れてはいけないんだ。
そうすれば君も自然とみんなから尊重されるようになる。

他人に対する敬意の気持ちと、ほんのちょっぴりの愛があれば、すべてがまるく収まるのさ。

それから、自分の心を他人に見せるのを恐れたりしてはだめだ。
自分の心を解放して思いっ切り自由になるか、まるでつまらない生活を送るか、そのどっちかだ。
だったら、いつもロックして、思いっ切り楽しんだほうがいいに決まっている。

楽しく過ごすか、つまらない毎日を送るか、そのどっちかを選べといったら、断然楽しい方を選ぶ。
つまらない毎日なんて、イヤっていうほど味わってきたから、もうゴメンだ。

by Duane Allman
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自分では常にそう思って生きてきたつもりだった。

でもそうじゃなかった事に最近気づいてしまった。
「原文の英語を日本語に訳したものだったので、その表現ニュアンスの違い」程度のものではなかった。

もっと深い「魂レベル」の話。

僕は上辺だけの見せかけの事しかできていなかったことに気付かされた。

誰に対しても気持ちよく振舞って、誰に対しても敬意を忘れてはいけないんだ。」
これなどは、上辺の態度だけで「あなたを馬鹿になんかしていませんよ〜」的な上から目線でもそれなりにその場はおさまる。
事を荒立てず、いい人間のふりをしていれば、他人からも「いい人だ」と思われてWin-Win・・・ではなかったのだ!
今まで長い間、自分が心を閉ざしていたから気づかなかったが、ピュアな心を持つ人間なら、そんなことに騙されるはずはない。
しかも「純粋」であるがゆえに、その欺瞞な態度によって心が傷つけられてしまうのだ。でも優しい心を持った彼(彼女)は自分が傷ついてでも、その偽善者に笑みを返してくるので、偽善者は「俺はいい行いをした。今日は気分がいい!」などという醜悪な事を生涯繰り返していくのであった。

で、実際にそれに似た行動を今までしてきた自分に突然気がついてしまった。
しかも、心境の変化と言ってしまえば簡単だが、その傷つけられてきた側の「心」になってしまったのだ。

今までテレビのニュースで事件の被害者や、自然災害の被災者の事をやっていても、口で「可

哀想やな〜」「大変やな〜」「辛いやろな〜」と言っていてもそのニュースが終わると「情報」として知っただけで、そこで終わっていた。
それがこの数週間前から、自分の中で何が起きたのかわからないが(精神障害かもしれないと思うほど)、そういう人たちの心情がわかって(「わかって」というのは自分が勝手に思い込んでいるだけで、本当は何もわかっていないのかもしれないけど)暫くの間「辛いだろうな〜、悲しいだろうな〜、これから先どうやって行くんだろう?」などと 関係もないのに気になってしまう状態になっています。

こういう状態で改めてDuaneのメッセージを読んだ時、「ああ、彼はそれまでとてつもなく苦しい経験をしてきたんだ。だから彼は人に優しくできるんだ。だからこそ心を開放することができるんだ。」と目から鱗が落ちました。
24歳の時点でこのような言葉がにじみ出てくるとは驚きです。(25歳の誕生日目前で交通事故で死亡・・・)

だからこそ僅か23〜24歳の世間一般に言われる「若造」の時の演奏が、45年経った現在でさえ全く色褪せることなく人々の心を打つんだとわかったような気がしました。
彼の音には言葉では表現できない「優しさ」「強さ」「思いやり」といった「魂」が宿っていたのだと、40年も聴き続けてわからなかった事に彼の2倍以上生きてようやく気付けたような気がします。(深い魅力があったからこそ40年間も聴き続けてこれたんだと思います。)

「楽しく過ごす」と言うのは連日のどんちゃん騒ぎなどではなく「心穏やかにどんな小さなことにでも感謝と畏怖の念を持って日々を生きていくこと」。
「つまらない毎日」と言うのは「なんでも人のせいにして不平不満ばかり愚痴り、自暴自棄になって手近な快楽に走り、そしてその後に襲ってくる何ともやるせない虚しさに胸が詰まる日々」と解釈。

「自分が食い扶持を得るためであっても、決して敵を作らず、共存関係を維持し、人間関係においては裏表を作らず、心の壁を作らず(自分の殻に篭ったりせず)、気持ちを偽った仮面を被ったりせず、笑いたい時は笑い、泣きたい時は泣き、そして決して周りを恨んだり自暴自棄になったりせず、世の中すべてのものに感謝と畏怖の念をもって穏やかに日々を過ごす。それこそが一番の幸せ」と現在の自分は45年以上も前のDuaneの言葉を勝手に解釈しました。

同じ言葉だけど、解釈換えて(今までがちゃんと解釈していなかっただけ)「座右の銘」にし続けようと思っています。




http://dixie8049.blogspot.jp/2016/04/duane-allmen.html

火曜日, 1月 17, 2017

22年前の1月17日 --- 阪神大震災の記憶



22年前の今日1月17日
明け方突然の「グオォォォ~!!!」という地響きとともに下から突き上げるような激しい揺れを感じた。
眠っていたはずだが、何故か地震の最初の瞬間から記憶がある。

「地震だ!」ととっさに気付いた僕は横に寝ていた当時1歳になったばかりの長男の上に覆いかぶさる。
(直後に妻も長男をかばおうとしてきたが 僕の方が先だった ----- いまだに唯一の自慢です)
揺れの直後から停電したため、照明器具の常夜灯も街灯も消え、まさに真暗闇の中での恐怖の十数秒。 報道では十数秒と報じられたが 僕にはとても長い時間に感じられた。
大地がとてつもなく大きな力でねじ曲げられて 壮絶な唸り声を上げていたように記憶している。
家の中のいろんなものが倒れ、ぶつかり・・・あらゆるものが同時に唸り、悲鳴を上げていたようなそんな一瞬だった。
(妻の話では僕自身が「うおぉぉぉぉ~~~!!!」と叫んでいたらしい)

普段から枕元にマグライトを置いていた僕は 手探りでそれを見つけ、室内を照らしてみた。

足下のわずか数センチのところに鏡台が倒れていて、隣のDKでは冷蔵庫が食卓テーブルの普段息子の座っているイスの上に倒れ込んでいた。(食事時だったら息子の頭部直撃!)
食器棚も倒れ、中のものは粉々。一緒にいれてあったWhiskey, Ginなんかもボトルが割れ中味が全部フロアに流れ出していた。
ガラスや食器の破片の中をマグライトの光を頼りに玄関まで辿り着く。
玄関が開かない!
どうやら地震で歪んでしまったようだ。
力任せになんとかこじ開けて外に出る。
外はまだ街灯も停電したままで、日もまだ昇っておらず、街中で体験する初めての真暗闇!
近所の人も何人か外に出ていて少し言葉を交わしたが、一体誰と話したのか顔が全くわからない。
駐車場にとめてあったクルマは幸い無傷だったので、家族3人で近くに住む両親のところに向かう。
幸い両親のところも怪我もなく無事だった。

テレビで情報を得ようとしても停電しているので全く状況がつかめない。
クルマのラジオを聞いてもまだ何の情報もない・・・(今から思えば当たり前の話)

そうこうしているうちに日も昇り、余震が続く中、徐々に被害の状況が見えてきた。
「こりゃぁ結構ひどいな・・・」と思いつつ、その日 撮影が予定されていた事を思い出し、尼崎のホテルに前夜東京から泊まりに来ていた編集部のU氏に連絡とる。川西市のN先生にも連絡をとり、周りの状況もわからないまま撮影現場に向かう事になった。

尼崎から川西までの南北の道、信号は全部停電して消えていた。
道の両側にある民家は ほとんどが瓦が落ちていた。
主要幹線道路だったので優先通行になり ほとんどノンストップで現地到着。
普段の半分の時間で着いてしまった。

当日朝に届く予定だった撮影用の花が「この状況では時間に間に合わないかも」という事で、近くのホームセンターへ男3人で買い出しに行く。
停電のため店内を軽トラックのヘッドライトで照らし、人々が緊急用の懐中電灯や電池、ロウソク、使い捨てカイロ等を買い求めているような状況で 我々だけが台車の上にパンジーのビニールポッドをいっぱい並べ「先生、赤いパンジーこんなもんでいいですかね?」「いや~、春らしくするにはもう少し多い方がいいで。あと10個追加やな」などと今から考えるととんでもない行動をしてた。

繰り返される余震の中、15時頃まで撮影を続け、やっとその頃になってテレビが映るようになっていた。
神戸の長田区の状況が映し出され「結構被害大きいな」「死者100人ぐらい出てるで」などと言っていたのを思い出す。
撮影終了後、帰宅途中に各地から応援に駆けつけた消防車に多数遭遇。名古屋からの消防車に並んだ時「とんでもない事になっている」と初めて気付いた。
意外と 被災地の真っ只中にいる人間は被害の全体像が把握できないものかも。

結局 撮影済みフィルムは万一の事を考えて東京へ持って帰ってもらう事にした。(後で聞くと 大阪の現像所、地震の影響で3日ほど稼働できなかったそう)
東京行きの新幹線はその時点では不通状態だったが、辛うじて翌朝 新大阪から東は復旧。

2日後、やっと大阪の事務所に行く事ができたが ここも結構揺れたらしく事務所内グチャグチャ。
幸いカメラ類の撮影機材はキャスター付の頑丈なスチールラックに積み上げていたので、ラックごと移動していて 倒れたり落ちたりしているものはなかった。これは本当にラッキー。

その翌日、昼夜を問わず襲ってくる余震の事を考え、妻と息子 そして僕の妹と当時3才の姪っ子を妻の実家の沖縄に避難させる事に。
伊丹空港へクルマで送って行ったのだが、途中道路や橋が通行止めになっていて道がわからなくなってしまった。
出発時刻も迫っていたのであせって飛行機が離着陸している方向に向かって迷いながら空港に辿り着いたような記憶がある。 (当時はまだカーナビなんてなかった)

地震の数カ月前に内装をリフォームした住まいも半壊状態。
でも身内で誰一人怪我人がでなかったのが幸運だった。

神戸の方では本当に多くの方が被害に遭われました。
友人や先輩などで 御両親や身内を亡くされた方とかもいらっしゃいました。
彼らの事を考えると 我々は本当に「無傷」状態だったと思います。

それから1ヶ月ほどの間、上水道が復旧しない西宮・芦屋などの知人宅へ 交通規制の解けた20時以降 毎晩のようにポリタンクに水を汲んで順番に配って回ったのを思い出す。


あれから22年・・・。
社会人1年生の長男は当然とはいえ、地震の記憶はないという。
3年前から某通信社で活躍中の姪っ子(現在金沢支局配属)は「巨大な怪獣がやって来た」ような恐怖心は覚えているらしい。
追悼・慰霊・鎮魂の目的で始められた神戸ルミナリエもその初期の意味合いが薄まり 観光イベント化してしまっている。


いつまでも過去にしがみつく事もないと思うけど、せめてこの日だけは「あの日」を思い出す日にしたい。

あの頃 被災地の人たちはお互いに助け合って生活していたと報道されていたし、僕も実際そういう風に感じていた。(いわゆる火事場泥棒は他所から来た奴の仕業らしい)
でもまた今、以前のような「冷たさ」に戻ってしまったようにも感じられる。
なんか残念・・・。

もう二度とあのような事が起こりませんように。 と祈り続けていたにもかかわらず、6年前の3月11日には この阪神大震災を何倍も上回る東関東大震災が、そして昨年は熊本地震が・・・


震災で亡くなられた多くの方々に ........... 合掌。


(9年前のmixi日記に加筆しました)

参考資料 (当時の様子) http://goo.gl/l9I8q http://youtu.be/hZ1vTGKqXOU