日曜日, 12月 31, 2017

Windows10 Creators Update 更新してから 調子悪い (:_;)

年の暮れになって、Windowsに散々悩まされています。
Windows 10 Creators Updateなのだが、まずその更新にかかる時間が半端でなく長い!
機種にもよるけど、あるノートブックは2時間半ほどだったのが、自宅のDELLの赤ノートは24時間たっても完了せず、最終的に昨日「個人用ファイルを保持して初期化」する羽目になった。







ようやくなんとか使えるレベルに復旧できそうと思っていた矢先、出先で管理任されて使っているデスクトップが今朝、起動HDDを認識せずお手上げ状態。他のデスクトップを急遽仕事で使うことになったが、これも自動更新で3〜4時間かかった。





今朝死んだデスクトップは1週間ほど前に、メインの管理者アカウントで起動させることができず(プロファイルがおかしくなっていたようで)、「前のバージョンに戻す」を強いられた。この時もやはり2時間半以上はかかったように思う。
Macのようにプログレスバーが表示されれば大体の進捗状況わかるのだが、数珠状の点がくるくる回っているだけ。ホンマ腹立つ!

「個人用ファイルを保持して初期化」したDELL INSPIRONは、本当に初期状態に戻ってしまい、アプリ類がOS標準のモノ以外全て綺麗さっぱり削除されてしまった。FirefoxやChrome, iTunes, Libre Officeなんかも・・・。

各アプリの設定は残っているようだけど(ユーザーのディレクトリに保存されていれば)、面倒な作業がまた増えてしまいました。
出先仕事用は、PC本体入れ替えたのでもっと大変。Photoshopや諸々の設定が・・・。気が遠くなります。
この4年程Windows8.1〜10をMacと並行して使っているけど、そう言えばMacBookProの方は大きなトラブルはなかったような気がします。
2013年夏にロジックボードをAppleCare保証で交換してもらってから特に何時間も手を取られるような不具合なし(ロジックボード交換も中2日で帰ってきたし)。
Windowsはソフトウェア・ハードウェア含めて作り込みが甘いのかな?(特にハードウェアはピンキリ)
バグが多い気がする。使い勝手悪いし。余計なことに手がかかりすぎ。
やはりMacのほうが作業に集中しやすいね。レスポンスも流麗だし。
正月1・2の間にInspironでしなければならない作業があるので、これからまたセットアップし直さなければ。
ほんとにWindowsは「困ったちゃん」です。

土曜日, 12月 16, 2017

Kobe Luminarie 2017

12/12に松岡先輩と元町駅で待ち合わせ、ルミナリエに行ってきました。

本年は神戸開港150年、来年が兵庫県政150周年ということで、かなり気合が入っているような触れ込みだったので、期待して行きました。

さすがに震災から23年も経つと、ルミナリエも「慰霊・鎮魂」という当初の意味合いも薄れ、もはや冬の風物詩の一つになってしまったようです。


 特に今回は先に述べた「神戸開港150年」ということもあり、完全に記念イベント的な様相でした。
元町から会場への約30分強の迂回路も警備員に混じった警官の少し威圧的な規制言動に嫌悪感をいだきました。
会場での警備員の「立ち止まっての写真撮影は大変危険です。前の方に続いて立ち止まらないで足元に注意してお進み下さい。」と絶え間なく繰り返される言葉にBGMも掻き消され「雰囲気」はぶち壊しでした。そもそも殆どの人が立ち止まって写真撮ってるので、お互い様で何の危険もないように思えたけど(写真撮る人は道路中央、先を急ぐ人は両脇と自然に流れていたんだけど)。


東遊園地のメイン会場は 昨年までの円形の作りではなく、通り抜け型になっていました。
会場内での人の滞留時間を短くする目的なのか、意図はよくわからないですが、結局写真的に美しいのは左右シンメトリーになる真正面の一点だけで、円形構造のときのように 観る角度によって印象が変わるという事はまったくありませんでした。
元々幾何学的な繰り返しパターンのパネルの組み合わせだったので、全体的な造形によって生命力が与えられていたように感じていたので、今年の作品はそういう意味からは恐ろしく静的で魂を抜かれたような印象を強く受けました。
その反面、例年に比べ華やかな色使いで輝度の高いLEDを使っているため、その過剰な光がもはや僕が好んでいた「ステンドグラス」の雰囲気を大きく逸脱し、アミューズメントパークのイベント風も通り越し、ラスベガスか 田舎のド派手なパチンコ屋的な様相を呈していたのが残念です。


以上のような理由もあり、今年は例年に比べ写真枚数も滞在時間もほぼ半分でした。
期待が大きかっただけに落胆も大きかったわけですが、決して質が落ちたというわけではなく、神戸市の記念事業としては立派な成功しているイベントだと思います。(単純に僕の「好みに合わなかった」だけ)



ルミナリエのあと、宮本先輩も交えて35年前から通っているショットバー「ピッコロ」に行き、学生時代のように はしゃいで大笑いして時間を過ごしました。

ルミナリエがいつか終わってしまっても、毎年この時季にはこの店で集まりたいものです。

PS:ルミナリエ開催は17日までです。 散々酷評したけど、僕の好みに合わなかっただけで、充分にレベルの高い作品です。 露店の数もここ数年前より減って環境的には良くなっていました。

元町駅からは会場入口までは約35分ほど迂回路を並ばされます。(そのせいもあり、当日の歩数は10,466歩記録しました。)

月曜日, 11月 20, 2017

Firefox Quantum

Firefox、創成期から愛用しているメインWebブラウザー。
アドオン多数実装カスタマイズして使っている。

先日リリースされたQuantum、すごく期待していたが、対応アドオンが殆ど無い。
数年かけてカスタマイズした環境がほとんどノーマル状態になるということ。


ブラウザが遅くなる原因が沢山のアドオンのせいだというのは知っているが、ほとんどアドオンのない状態で早くなっても仕方がない(それなら56をアドオン最小限にして使ったほうがいい)

実際にWindows10でQuantum使っているが、そんなに驚くほどの速さや恩恵は感じられない。
それよりはTab MixやScrapBook使えたほうがいい。

ということでMacではもうしばらく様子見。(Quantumに問題あるわけではなく、サードパーティーのアドオン対応待ち)

火曜日, 9月 05, 2017

Chris Duarte's "Gold Sparkle XS-1" was stolen ...

 

Hey CDG Fans out there,
It is with heavy heart that I have to report that my van was broken into Friday night Aug. 25th and my Gold Sparkle XS-1 was stolen. Also stolen was Beth Lee's hand-built custom Fender copy Tweed 1 x 12" speaker. The amp has reverb in it as well as a master volume. The most distinguishing characteristic of my Gold guitar XS-1 is the headstock is the same color as the body. Serial #156.
Please everybody keep an eye out for these items. My Gold guitar was my #1 Xotic guitar, or my 'go-to' guitar. Beth's amp was special to her too. I am devastated by it's theft because it was in my possession at the time it was taken. If someone steals my stuff that's one thing but when it's a friend's stuff you were looking out after, well that hurts even more.
I have been checking in on Craig's List from time to time to see if it pops up and I have also filed a theft report with the Austin Police Dept.
Just please everybody keep an eye out for these two items. I would really like to see Beth get her amp back and see the thieves that stole our stuff do their time.
Thank you - chris duarte

CDGAdmins: you can contact us (admin@duarte.rocks) or Chris directly (chris@duarte.rocks) if you happen to see/hear anything. Chris' van was broken into in the Austin, TX area.
APB, BOLO! All Points Bulletin, Be on the lookout.

https://goo.gl/fyeyfL

火曜日, 8月 22, 2017

『写真好きな子育て世代のお父さん・お母さんへ』

子供の写真を 親が撮ることがなくなる年齢になって、ふと気づくことがあります。
「家族写真に自分の存在がない!」

僕はカメラマンという職業柄、家族写真もハイクオリティで残そうと、いつもデジタル一眼レフで撮っていました。
仕事道具ということもあって、妻や子供たちに触らせることは滅多にありませんでした。
今でこそ誰もが自分専用のスマートフォンカメラで写せる時代ですが、当時はまだそんな環境にはなっていませんでした。
(我が家では長男が中学の修学旅行に行く2008年頃までコンパクトデジカメ、いやそれ以前にコンパクトカメラさえなかった・・・。小学校の修学旅行の時は「写ルンです」だったし。)

半年ほど前、今までに撮り溜めた家族写真のデータを整理していて本当に驚いた。
家族と一緒に写っている写真がほぼ皆無!

4~5年前に、二男と三男に口を揃えて言われた。
「父さん、いっつも家族でどっか行く時1人だけおらへんし、僕らの誕生日の時もビデオ写ってないし・・・」
すかさず「その写真とビデオ誰が撮ってた思てんねん? 父さんやろが?!」って言ったら「あっ、そうか!」と納得していたが、最近の子供は画像や映像で思い出を反復記憶しているようなので、その中に登場していないと 思い出の中から存在がなくなってしまうようです。

妻はビデオ撮影中も子供に話しかけながら撮っていたので、声が残っている分 存在感がありますが、僕は職業柄「存在を消す」ことが身に染み付いてしまっているため、ビデオ・写真を見た限り、そこに僕の存在・気配はまったくありませんでした 😢
正直、ここまで本当に「(写っている写真が)無い」とはショックでした。(もう少しはあると思っていましたが、まともに考えれば1台のカメラで自分一人が撮っていれば 写っているはずがなくて当たり前ですよね)

更に、友人の結婚式や 学校の同窓会に行っても、いつも記録係になるので、少なくとも自分のカメラに写っていることはまずありません。
最近でこそ、スマホで写した写真を送ってくれる友人もいますが、数としては本当に稀。
このままでは友人達からも「あの時も来ていなかったよな?」てなりそう・・・
(セルフィーが大嫌いなので ますますこの世での存在記録がなくなってしまいそうです)


話は戻って、
ということで、写真大好きなお父さん・お母さん、子供の写真をたくさん撮ることはとてもいいことですが、時折その中に自分も一緒に写すことも忘れないでください。
誰かにカメラを預けて撮ってもらってもいいですし、誰かが撮ってくれた写真をもらってもいいです。
数年後に見返した時、写真を撮っていた本人にはその時の記憶が蘇りますが、被写体になっていた子供たちは意外と憶えていません。
写真やビデオだけ観て「この時もまた父さん(母さん)来ていなかった・・・」みたいな事になります。
運動会や遊園地、誕生日会を一生懸命撮っていても、子供たちから見れば、その思い出の中にお父さん (あるいはお母さん)はいないのです。
これって悲劇ですよね。😭
ということで、なんとかほんの数枚でも その思い出の中に自分も参加させましょう。
あとで後悔してもどうしようもありません。(大体10年以上経って気付きます)

それと、同窓会や結婚式で友人が一生懸命カメラマン役やってくれていたら、その姿を何枚か写してあげて下さい。他の友達と一緒に写っている写真とかがあったら「こんな写真、下手だと思われるので恥ずかしい」などと思わず、送ってあげて下さい。
僕は本当に嬉しかったです。

最近遅ればせながらiPhoneを入手したので、機会があれば、友人と一緒の2ショットセルフィーでも撮ってみようかと思っています。(今まで、そういうことしたことがなかったので、その場でその事を思い出せるかどうかのほうが心配ですが。😅
ということで。

月曜日, 7月 17, 2017

2017.07.17. 関西学院高等部 野球部 兵庫大会第3回戦(VS 須磨学園)

兵庫大会 第3回戦
2017年7月17日(月) @尼崎ベイコム野球場

     123456789 計
須磨学園 0000110   2
関西学院 055000x   10

https://photos.app.goo.gl/hV3rnAefcrfdzjMF3

9:54試合開始。
1回表須磨学:関学投手伊原木の前に三者凡退。1回裏関学:2死から田中の2塁打で好機を作るも後続倒れ無得点。
2回裏関学:先頭菱谷が相手失策で出塁。続く藤原はバント安打で無死1、2塁。7番日野は三振に倒れるも8番山田は四球で出塁。1死満塁から伊原木の右前安打で関学2点先制。続く堀尾は一塁手の野選で1点追加。2死となり田中の右前安打が飛び出し2点追加。関学一挙5得点。
3回裏関学:菱谷の左前安打と相手失策、四球などで1死満塁とすると、伊原木の左前安打で2得点。なおも続く堀尾も右前安打で続き1点追加。水谷の犠打に暴投が絡み1点追加。4番谷山も中前打で1点追加。関学5得点。
5回表須磨学:先頭川邊が相手失策で出塁すると続く大西が右前安打で続き無死1、3塁。1死となり代打小嶋の併殺崩れの間に3塁走者が生還し1点。
6回表須磨学:先頭加納大が3塁打で出塁すると1死3塁から阪上の2塁ゴロの間に1点をあげる。
7回表須磨学:三者凡退に倒れ試合終了。関学の勝利(7回コールド)。 【兵庫県高野連HPより】







木曜日, 7月 13, 2017

2017.07.13. 関西学院高等部 野球部 兵庫大会第2回戦(VS 福崎)

兵庫大会 第2回戦
2017年7月13日(木) @尼崎ベイコム野球場

   123456789 計
福崎 000000000 0
関学 20100020x 5


 9:55試合開始。
1回裏関学:1番堀尾が中前安打で出塁すると、続く水谷の犠打と3番田中の左前安打で1死1、3塁とする。ここで4番谷山は中犠飛を放ち関学1点先制。5番菱谷も右越2塁打で続き1点追加。
2回表福崎:5番中島遼、6番小幡の連打で1、2塁とするも後続倒れ無得点。
3回裏関学:2死から4番谷山が右前安打で出塁すると、またも5番菱谷の3塁打が飛び出し1点追加。
5回表福崎:1死から8番井上が右2塁打で出塁するも後続倒れ無得点。
5回裏関学:2死2、3塁の好機を作るも2番手投手橋本の前に後続倒れ無得点。
7回裏関学:1死1塁から菱谷のヒットエンドランと藤原の安打で満塁の好機を作る。ここで3塁走者が牽制死で好機を逃したかと思われたが、代打都賀の中前打で2点追加。
9回表福崎:先頭打者田中が安打で出塁するも続く小室は併殺打。続く中島遼も三振に倒れ試合終了。
5-0で関西学院の勝利。      【兵庫県高野連HPより】









水曜日, 6月 14, 2017

Rick Wakeman - Piano Playlist

#NowPlaying

Rick Wakeman、元YESのキーボードプレイヤー。
何故かYESの音楽はあまり好きになれず「海洋地形学の物語」1枚聴いただけだった。
Rickのソロも「アーサー王と円卓の騎士たち」聴いた程度で、そんなに興味を持つアーティストではなかった。
しかし過日、Dr.JohnやLeon Russellのピアノアルバム漁っているうちに、偶然Rick Wakemanの "Piano Portraits" に遭遇し、予想外に美しく素晴らしかったので、しばらくお気に入りになって夜眠る時とかによく聴いていた。
で先日、他にもないかとSpotify探したら結構な数のAcoustic Pianoアルバムが見つかった。
それ以来、朝から晩までヘビーローテーション。

JazzやBlues系ではないClassical系のピアノ。
やはりCelticの香りもするのか、とても心地よい音です。(ヒーリング要素も高い)

正直、Rick Wakemanにはまるとは思いもしなかった!
 Electric(シンセ)のRick Wakemanは今のところまだパスです (^_^;)


https://open.spotify.com/user/dixie8049/playlist/1IHuEXlA6Xe4bIkggckcm0

日曜日, 5月 28, 2017

Gregory LeNoir Allman (December 8, 1947 – May 27, 2017)

Rest in peace Gregg.

Gregg Allman, the soulful singer-songwriter and rock 'n' blues pioneer who founded The Allman Brothers Band with his late brother, Duane, and composed such classics as "Midnight Rider," "Melissa" and the epic concert jam "Whipping Post," has died at age 69. He was diagnosed with hepatitis C in 1999 and underwent a liver transplant in 2010.
Allman "passed away peacefully at his home in Savannah, Georgia," read a statement posted to the singer's official website, noting that the family planned to release a statement soon. "Gregg struggled with many health issues over the past several years. During that time, Gregg considered being on the road playing music with his brothers and solo band for his beloved fans, essential medicine for his soul. Playing music lifted him up and kept him going during the toughest of times."
Gregg's longtime manager and close friend Michael Lehman said, "I have lost a dear friend and the world has lost a brilliant pioneer in music. He was a kind and gentle soul with the best laugh I ever heard. His love for his family and bandmates was passionate as was the love he had for his extraordinary fans. Gregg was an incredible partner and an even better friend. We will all miss him."

Gregg is survived by his wife, Shannon Allman, his children, Devon, Elijah Blue, Delilah Island Kurtom and Layla Brooklyn Allman; 3 grandchildren, his niece, Galadrielle Allman, lifelong friend Chank Middleton, and a large extended family.
With his long blond hair, cool facade and songs that chronicled restless, wounded lives, Allman came to personify the sexy, hard-living rock outlaw in a life marked by musical triumph and calamitous loss.

Allman fronted his band for 45 years, first alongside Duane and then as its sole namesake, after his older brother - regarded as one of the most influential guitarists in rock history - was killed in a motorcycle accident in November 1971, just as their trailblazing Southern rock tracks were taking hold on the charts.Soldiering on through grief and then the eerily similar death of bassist Berry Oakley just one year and 10 days after Duane died, Allman and the band became as well known for their stoic survival as they were for their freewheeling concerts.After years of tragedy, dramatic breakups and tense reconciliations, a reconstituted Allman Brothers Band engineered a renaissance starting in the mid-'90s that put their fiery brew of old-time blues, jazz and country rock squarely at the forefront of music's thriving jam scene.The Allmans' annual rite of spring - a three-week run of shows typically held every March at the historic Beacon Theatre on New York's Upper West Side - remade the band into a formidable commercial force in recent decades, long after many in the music industry had written them off.A gentle and at times fierce balladeer, Allman would spend the majority of these shows behind his Hammond organ, taking center stage only briefly, usually with his acoustic guitar for "Melissa," which would start quietly and then blossom into a freeform jam.With 238 concerts at the Beacon from 1989-2014, the Allmans had become such an important tenant that when the theater's new owner, The Madison Square Garden Co., announced plans for a renovation in 2006, Allman was consulted. His plain-spoken advice to executives: "Just don't screw it up."Gregory LeNoir Allman was born in Nashville on Dec. 8, 1947, slightly more than a year after Duane. Tragedy struck early for the brothers when their father, Willis Turner Allman, an Army captain who had just returned home, was shot and killed in 1949 while helping a hitchhiker. The family moved to Daytona Beach, Fla., but

Allman returned to Nashville often to visit relatives, developing an interest in music while there, particularly after seeing a concert featuring Otis Redding, B.B. King, Jackie Wilson and Patti LaBelle on one life-changing bill.
He bought his first guitar for $21.95 at Sears, but soon Duane was demanding to play it. The brothers became so consumed by their music, and so intent on continuing, that Gregg deliberately shot himself in one foot to gain a medical exemption from the Vietnam draft. (He had studied a skeletal chart to find the least damaging place to shoot.)

One of their early bands, The Escorts, evolved into the moderately successful Allman Joys. They toured the South relentlessly, endured an ill-fated label deal in California and were signed - along with Oakley, guitarist Dickey Betts and drummers Jai Johanny "Jaimoe" Johanson and Butch Trucks - as The Allman Brothers Band by Macon, Ga.-based Capricorn Records in 1969.The guys were enjoying a first rush of mainstream fame with the release of their third album, the landmark live set At Fillmore East, when Duane was killed in Macon after the motorcycle that he was piloting swerved to avoid a truck and crashed. He was 24.Still in shock, the band quickly resumed work on 1972's Eat a Peach, highlighted by its haunting opening track, "Ain't Wasting Time No More," Allman's enduring tribute to his brother. They summoned their strength once again after Oakley's death - also from a motorcycle crash just blocks from where Duane had been fatally injured - adding new members and recording 1973's Brothers and Sisters. That disc remained No. 1 on Billboard's album chart for five weeks and featured the Betts classics "Jessica" and "Ramblin' Man."The Allmans' fame grew exponentially, and in 1973 they played before a record-breaking 600,000 fans at The Summer Jam at Watkins Glen, N.Y., alongside the Grateful Dead and The Band. But in 1976, the group would endure the first of several rancorous splits, which saw Allman clashing most intensely with Betts for control. (The guitarist would be fired in 2000.)

In 1975, Allman, then 27, was downing a quart of vodka a day, hooked on heroin and already on his third marriage - this time to Cher, ​the '60s pop icon who was then a star of CBS variety shows, first with former husband Sonny Bono and then on her own. But just nine days into the ​new ​union, Cher, distressed by Allman's drug use, walked out.

They reconciled, had a son, Elijah Blue Allman, and briefly became a recording duo, billing themselves as Allman and Woman. Their one record together, 1977's Two the Hard Way, was disparaged by critics and their divergent fan bases and was a particularly tough sell given Cher's professional reunion with Bono for a new CBS show at the time. Allman and Cher divorced in 1979.

During this era, Allman also was something of a grassroots political activist, helping put a little-known Jimmy Carter into the White House with an endless run of fundraising concerts. (When Macon's Mercer University bestowed an honorary doctorate upon Allman in May 2016, it was Carter who presented it.)In a 2015 interview with Dan Rather, Allman detailed his many failed attempts at rehab and how the stage could numb just about any kind of pain."I've walked onstage with an abscessed tooth and as soon as you get out there, it goes away," Allman said. "Walk offstage, it comes back. It's the land of no pain."

His determination to rebuild The Allman Brothers Band dovetailed with his first long stretch of sobriety, finally accomplished at age 47, soon after he saw a replay of his incoherent appearance ​during the group's 1995 induction into the Rock and Roll Hall of Fame. They received Grammy's Lifetime Achievement Award in 2012.

By the time The Allman Brothers Band had added 20-year-old guitar prodigy Derek Trucks (nephew of the founding drummer) in 2000, they were finally settling into their most stable groove in three decades - a 15-year finale of sorts that lasted until the younger Trucks and fellow guitarist Warren Haynes decided to leave. The band called it day with one final Beacon run in 2014.

That same year, Allman was again linked with tragedy: The movie-set death of camera assistant Sarah Jones, who was working on the indie biopic Midnight Rider, based on Allman's 2012 autobiography, My Cross to Bear. After Jones was killed and six others injured, director Randall Miller wanted to continue with the film, but Allman begged him to drop the project. A prolific solo artist who also toured and recorded through the decades with his own Gregg Allman Band, he had his biggest solo radio hit in 1987, the catchy "I'm No Angel," which reached the top spot on Billboard's Album Rock Tracks chart.His nine solo albums included All My Friends, recorded at a 2014 tribute concert to him at the Fox Theatre in Atlanta, and 2015's Live: Back to Macon, GA. A new studio album, Southern Blood, is scheduled to be released this year.

Allman canceled a round of concert dates in 2016 but got back on the road briefly last fall, performing his last known shows at his own Laid Back Festivals - Sept. 25 at Red Rocks Amphitheatre outside Denver and Oct. 29 at Lakewood Amphitheatre in Atlanta. He endured yet more heartbreak in January when Butch Trucks committed suicide at age 69.

In March, Allman announced that he was canceling all shows in 2017 and offered refunds to fans. His last song on stage appears to have been "One Way Out."

http://www.greggallman.com/

金曜日, 1月 27, 2017

ジョージ・カーリンの手紙「この時代に生きる私たちの矛盾」



ビルは空高くなったが
人の気は短くなり

高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり

お金を使ってはいるが 
得る物は少なく

たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり

より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく

知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている

薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない

長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ

ジョージ・カーリン
====== 以下英文 ======

The paradox of our time in history is that we have
taller buildings but shorter tempers, wider
freeways, but narrower viewpoints. We spend more, but have less,
we buy more, but enjoy less. We have bigger houses and
smaller families, more conveniences, but less time.

We have more degrees but less sense, more knowledge,
but less judgment,
more experts, yet more problems, more medicine,
but less wellness.

We drink too much, smoke too much, spend too recklessly,
laugh too little, drive too fast, get too angry, stay up too late,
get up too tired, watch TV too much, and pray too seldom.

We have multiplied our possessions, but reduced our
values. We talk too much, love too seldom,
and hate too often.

We’ve learned how to make a living, but not a life.
We’ve added years to life not life to years. We’ve
been all the way to the moon and back, but have
trouble crossing the street to meet a new neighbor.

We conquered outer space but not inner space.
We’ve done larger things, but not better things.
We’ve cleaned up the air, but polluted the soul.

We’ve conquered the atom, but not our prejudice.
We write more, but learn less. We plan more,
but accomplish less. We’ve learned to rush, but not to wait.
We build more computers to hold more information,
to produce more copies than ever,
but we communicate less and less.

These are the times of fast foods and slow digestion,
big men and small character, steep profits
and shallow relationships.

These are the days of two incomes but more divorce,
fancier houses, but broken homes.

These are days of quick trips, disposable diapers,
throwaway morality, one night stands, overweight bodies,
and pills that do everything from cheer, to quiet, to kill.

It is a time when there is much in the showroom window
and nothing in the stockroom. A time when technology
can bring this letter to you, and a time when you can choose
either to share this insight, or to just hit delete.

Remember, spend some time with your loved ones,
because they are not going to be around forever.

Remember, say a kind word to someone who looks up to
you in awe, because that little person soon
will grow up and leave your side.

Remember, to give a warm hug to the one next to you,
because that is the only treasure you can give
with your heart and it doesn’t cost a cent.

Remember, to say, “I love you” to your partner and your loved ones,
but most of all mean it. A kiss and an embrace will mend hurt
when it comes from deep inside of you.

Remember to hold hands and cherish the moment for
someday that person will not be there again.

Give time to love, give time to speak, and give time
to share the precious thoughts in your mind.

AND ALWAYS REMEMBER:

Life is not measured by the number of breaths we take,
but by the moments that take our breath away.

George Carlin

水曜日, 1月 25, 2017

座右の銘


40年前から「座右の銘」としていたDuane Allmanのメッセージ。
-------------------------
どこに行っても、結局は同じことなんだ。
いい人間がいると思えば、どうしようもないバカもいる。
生きていくためには、この2種類の人間を見分けなきゃならない。

だけど、誰かにとっては鼻持ちならない奴でも、ほかの誰かにとってはいい奴なのかもしれない。
だから、誰に対しても気持ちよく振舞って、誰に対しても敬意を忘れてはいけないんだ。
そうすれば君も自然とみんなから尊重されるようになる。

他人に対する敬意の気持ちと、ほんのちょっぴりの愛があれば、すべてがまるく収まるのさ。

それから、自分の心を他人に見せるのを恐れたりしてはだめだ。
自分の心を解放して思いっ切り自由になるか、まるでつまらない生活を送るか、そのどっちかだ。
だったら、いつもロックして、思いっ切り楽しんだほうがいいに決まっている。

楽しく過ごすか、つまらない毎日を送るか、そのどっちかを選べといったら、断然楽しい方を選ぶ。
つまらない毎日なんて、イヤっていうほど味わってきたから、もうゴメンだ。

by Duane Allman
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自分では常にそう思って生きてきたつもりだった。

でもそうじゃなかった事に最近気づいてしまった。
「原文の英語を日本語に訳したものだったので、その表現ニュアンスの違い」程度のものではなかった。

もっと深い「魂レベル」の話。

僕は上辺だけの見せかけの事しかできていなかったことに気付かされた。

誰に対しても気持ちよく振舞って、誰に対しても敬意を忘れてはいけないんだ。」
これなどは、上辺の態度だけで「あなたを馬鹿になんかしていませんよ〜」的な上から目線でもそれなりにその場はおさまる。
事を荒立てず、いい人間のふりをしていれば、他人からも「いい人だ」と思われてWin-Win・・・ではなかったのだ!
今まで長い間、自分が心を閉ざしていたから気づかなかったが、ピュアな心を持つ人間なら、そんなことに騙されるはずはない。
しかも「純粋」であるがゆえに、その欺瞞な態度によって心が傷つけられてしまうのだ。でも優しい心を持った彼(彼女)は自分が傷ついてでも、その偽善者に笑みを返してくるので、偽善者は「俺はいい行いをした。今日は気分がいい!」などという醜悪な事を生涯繰り返していくのであった。

で、実際にそれに似た行動を今までしてきた自分に突然気がついてしまった。
しかも、心境の変化と言ってしまえば簡単だが、その傷つけられてきた側の「心」になってしまったのだ。

今までテレビのニュースで事件の被害者や、自然災害の被災者の事をやっていても、口で「可

哀想やな〜」「大変やな〜」「辛いやろな〜」と言っていてもそのニュースが終わると「情報」として知っただけで、そこで終わっていた。
それがこの数週間前から、自分の中で何が起きたのかわからないが(精神障害かもしれないと思うほど)、そういう人たちの心情がわかって(「わかって」というのは自分が勝手に思い込んでいるだけで、本当は何もわかっていないのかもしれないけど)暫くの間「辛いだろうな〜、悲しいだろうな〜、これから先どうやって行くんだろう?」などと 関係もないのに気になってしまう状態になっています。

こういう状態で改めてDuaneのメッセージを読んだ時、「ああ、彼はそれまでとてつもなく苦しい経験をしてきたんだ。だから彼は人に優しくできるんだ。だからこそ心を開放することができるんだ。」と目から鱗が落ちました。
24歳の時点でこのような言葉がにじみ出てくるとは驚きです。(25歳の誕生日目前で交通事故で死亡・・・)

だからこそ僅か23〜24歳の世間一般に言われる「若造」の時の演奏が、45年経った現在でさえ全く色褪せることなく人々の心を打つんだとわかったような気がしました。
彼の音には言葉では表現できない「優しさ」「強さ」「思いやり」といった「魂」が宿っていたのだと、40年も聴き続けてわからなかった事に彼の2倍以上生きてようやく気付けたような気がします。(深い魅力があったからこそ40年間も聴き続けてこれたんだと思います。)

「楽しく過ごす」と言うのは連日のどんちゃん騒ぎなどではなく「心穏やかにどんな小さなことにでも感謝と畏怖の念を持って日々を生きていくこと」。
「つまらない毎日」と言うのは「なんでも人のせいにして不平不満ばかり愚痴り、自暴自棄になって手近な快楽に走り、そしてその後に襲ってくる何ともやるせない虚しさに胸が詰まる日々」と解釈。

「自分が食い扶持を得るためであっても、決して敵を作らず、共存関係を維持し、人間関係においては裏表を作らず、心の壁を作らず(自分の殻に篭ったりせず)、気持ちを偽った仮面を被ったりせず、笑いたい時は笑い、泣きたい時は泣き、そして決して周りを恨んだり自暴自棄になったりせず、世の中すべてのものに感謝と畏怖の念をもって穏やかに日々を過ごす。それこそが一番の幸せ」と現在の自分は45年以上も前のDuaneの言葉を勝手に解釈しました。

同じ言葉だけど、解釈換えて(今までがちゃんと解釈していなかっただけ)「座右の銘」にし続けようと思っています。




http://dixie8049.blogspot.jp/2016/04/duane-allmen.html

火曜日, 1月 17, 2017

22年前の1月17日 --- 阪神大震災の記憶



22年前の今日1月17日
明け方突然の「グオォォォ~!!!」という地響きとともに下から突き上げるような激しい揺れを感じた。
眠っていたはずだが、何故か地震の最初の瞬間から記憶がある。

「地震だ!」ととっさに気付いた僕は横に寝ていた当時1歳になったばかりの長男の上に覆いかぶさる。
(直後に妻も長男をかばおうとしてきたが 僕の方が先だった ----- いまだに唯一の自慢です)
揺れの直後から停電したため、照明器具の常夜灯も街灯も消え、まさに真暗闇の中での恐怖の十数秒。 報道では十数秒と報じられたが 僕にはとても長い時間に感じられた。
大地がとてつもなく大きな力でねじ曲げられて 壮絶な唸り声を上げていたように記憶している。
家の中のいろんなものが倒れ、ぶつかり・・・あらゆるものが同時に唸り、悲鳴を上げていたようなそんな一瞬だった。
(妻の話では僕自身が「うおぉぉぉぉ~~~!!!」と叫んでいたらしい)

普段から枕元にマグライトを置いていた僕は 手探りでそれを見つけ、室内を照らしてみた。

足下のわずか数センチのところに鏡台が倒れていて、隣のDKでは冷蔵庫が食卓テーブルの普段息子の座っているイスの上に倒れ込んでいた。(食事時だったら息子の頭部直撃!)
食器棚も倒れ、中のものは粉々。一緒にいれてあったWhiskey, Ginなんかもボトルが割れ中味が全部フロアに流れ出していた。
ガラスや食器の破片の中をマグライトの光を頼りに玄関まで辿り着く。
玄関が開かない!
どうやら地震で歪んでしまったようだ。
力任せになんとかこじ開けて外に出る。
外はまだ街灯も停電したままで、日もまだ昇っておらず、街中で体験する初めての真暗闇!
近所の人も何人か外に出ていて少し言葉を交わしたが、一体誰と話したのか顔が全くわからない。
駐車場にとめてあったクルマは幸い無傷だったので、家族3人で近くに住む両親のところに向かう。
幸い両親のところも怪我もなく無事だった。

テレビで情報を得ようとしても停電しているので全く状況がつかめない。
クルマのラジオを聞いてもまだ何の情報もない・・・(今から思えば当たり前の話)

そうこうしているうちに日も昇り、余震が続く中、徐々に被害の状況が見えてきた。
「こりゃぁ結構ひどいな・・・」と思いつつ、その日 撮影が予定されていた事を思い出し、尼崎のホテルに前夜東京から泊まりに来ていた編集部のU氏に連絡とる。川西市のN先生にも連絡をとり、周りの状況もわからないまま撮影現場に向かう事になった。

尼崎から川西までの南北の道、信号は全部停電して消えていた。
道の両側にある民家は ほとんどが瓦が落ちていた。
主要幹線道路だったので優先通行になり ほとんどノンストップで現地到着。
普段の半分の時間で着いてしまった。

当日朝に届く予定だった撮影用の花が「この状況では時間に間に合わないかも」という事で、近くのホームセンターへ男3人で買い出しに行く。
停電のため店内を軽トラックのヘッドライトで照らし、人々が緊急用の懐中電灯や電池、ロウソク、使い捨てカイロ等を買い求めているような状況で 我々だけが台車の上にパンジーのビニールポッドをいっぱい並べ「先生、赤いパンジーこんなもんでいいですかね?」「いや~、春らしくするにはもう少し多い方がいいで。あと10個追加やな」などと今から考えるととんでもない行動をしてた。

繰り返される余震の中、15時頃まで撮影を続け、やっとその頃になってテレビが映るようになっていた。
神戸の長田区の状況が映し出され「結構被害大きいな」「死者100人ぐらい出てるで」などと言っていたのを思い出す。
撮影終了後、帰宅途中に各地から応援に駆けつけた消防車に多数遭遇。名古屋からの消防車に並んだ時「とんでもない事になっている」と初めて気付いた。
意外と 被災地の真っ只中にいる人間は被害の全体像が把握できないものかも。

結局 撮影済みフィルムは万一の事を考えて東京へ持って帰ってもらう事にした。(後で聞くと 大阪の現像所、地震の影響で3日ほど稼働できなかったそう)
東京行きの新幹線はその時点では不通状態だったが、辛うじて翌朝 新大阪から東は復旧。

2日後、やっと大阪の事務所に行く事ができたが ここも結構揺れたらしく事務所内グチャグチャ。
幸いカメラ類の撮影機材はキャスター付の頑丈なスチールラックに積み上げていたので、ラックごと移動していて 倒れたり落ちたりしているものはなかった。これは本当にラッキー。

その翌日、昼夜を問わず襲ってくる余震の事を考え、妻と息子 そして僕の妹と当時3才の姪っ子を妻の実家の沖縄に避難させる事に。
伊丹空港へクルマで送って行ったのだが、途中道路や橋が通行止めになっていて道がわからなくなってしまった。
出発時刻も迫っていたのであせって飛行機が離着陸している方向に向かって迷いながら空港に辿り着いたような記憶がある。 (当時はまだカーナビなんてなかった)

地震の数カ月前に内装をリフォームした住まいも半壊状態。
でも身内で誰一人怪我人がでなかったのが幸運だった。

神戸の方では本当に多くの方が被害に遭われました。
友人や先輩などで 御両親や身内を亡くされた方とかもいらっしゃいました。
彼らの事を考えると 我々は本当に「無傷」状態だったと思います。

それから1ヶ月ほどの間、上水道が復旧しない西宮・芦屋などの知人宅へ 交通規制の解けた20時以降 毎晩のようにポリタンクに水を汲んで順番に配って回ったのを思い出す。


あれから22年・・・。
社会人1年生の長男は当然とはいえ、地震の記憶はないという。
3年前から某通信社で活躍中の姪っ子(現在金沢支局配属)は「巨大な怪獣がやって来た」ような恐怖心は覚えているらしい。
追悼・慰霊・鎮魂の目的で始められた神戸ルミナリエもその初期の意味合いが薄まり 観光イベント化してしまっている。


いつまでも過去にしがみつく事もないと思うけど、せめてこの日だけは「あの日」を思い出す日にしたい。

あの頃 被災地の人たちはお互いに助け合って生活していたと報道されていたし、僕も実際そういう風に感じていた。(いわゆる火事場泥棒は他所から来た奴の仕業らしい)
でもまた今、以前のような「冷たさ」に戻ってしまったようにも感じられる。
なんか残念・・・。

もう二度とあのような事が起こりませんように。 と祈り続けていたにもかかわらず、6年前の3月11日には この阪神大震災を何倍も上回る東関東大震災が、そして昨年は熊本地震が・・・


震災で亡くなられた多くの方々に ........... 合掌。


(9年前のmixi日記に加筆しました)

参考資料 (当時の様子) http://goo.gl/l9I8q http://youtu.be/hZ1vTGKqXOU