昨夜は雨が降っていましたが、今日は朝から秋晴れの良いお天気で、空気も澄んで、19時半頃に夜空を見上げたところ東南東のかなり高い所で煌々と輝いておりました。
上の写真は、煌々と光り輝く満月のイメージです。
天体としての「月」の場合はクレーターや谷も見えなくてはいけないので、同じRAWデータからディテール優先で現像したのが下の写真です。
日本では「うさぎ」に見えるようですが、海外では「犬」や「蟹」「ワニ」なんかに見えるそうです。
- 日本=餅をつくうさぎ
- 韓国=餅をつくうさぎ
- 中国=薬草を挽くうさぎ
- 中国の一部=大きなハサミのカニ
- モンゴル=イヌ
- インドネシア=編み物をしている女性
- ベトナム=木の下で休む男性
- インド=ワニ
- オーストリア=男性が灯りを点けたり消したりしている
- カナダの先住民=バケツを運ぶ少女
- 中南米=ロバ
- 北ヨーロッパ=本を読むおばあさん
- 南ヨーロッパ=大きなはさみのカニ
- 東ヨーロッパ=女性の横顔
- アラビア=吠えているライオン
- ドイツ=薪をかつぐ男
- バイキング=水をかつぐ男女
日本:うさぎの餅つき
月にウサギがいると言うのは仏教説話に、ウサギが仏に他の動物のように捧げものが出来ないので焚き火に我が身を投じて、それを食べて貰おうとしたのを哀れんだ仏が月にウサギを送った(敦煌の壁画にその説話が描かれていた)という話があります。
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今は昔、天竺において、兎・狐・猿の三匹の獣が菩薩の道を修行していた。
三匹はいつも仲良く暮らしていたが、いつも話し合っていたことは、 自分たちは前世で犯した罪・障が重くて、いやしい獣の身に生まれた。
これは前世で生物をあわれまず、財物を惜しんで人に与えないなどの罪が深かったために、地獄に堕ちて苦しみを受け、それでもなお報いが足りず、残りの報いとしてこのような身に生まれたのだ。
されば、今生こそ我が身を捨てて善業を重ねよう。
三匹は各自このように考え自分のことは顧みず、ひたすら他の者のために尽くそうと心がけていた。
帝釈天は彼等の行いをご覧になり、彼等は獣の身でありながら、珍しく殊勝な心がけである。
人間の身に生まれた者でも、生き物を殺し、人の財を奪い、父母を殺し、兄弟を仇敵のように思い、笑顔の裏に悪心を隠し、 思慕の姿に怒りの心を秘めているものだ。
ましてこのような獣は、まことの信心が深いとは思いがたい。
ひとつ試してみよう。そうお思いになって、たちまち老翁に姿を変えられた。
力なく疲れてよぼよぼの姿となって、三匹の獣のいるところにいらっしゃった。
「わしは年老い疲れ果ててどうにもならぬ。お前たち三匹でわしを養って下され。 わしには子供もなく、家も貧しくて食物もない。聞けば、お前たち三匹は情深いとのことだ」
三匹の獣は、これを聞くと、「それこそ私たちの本来の志です。さっそく養ってあげましょう」と言って、まず猿は木に登って、栗・柿・梨などを取って来て好きな物を食べさせる。
狐は墓小屋に行って、人が供えた餅やまぜ飯、鮑や鰹などさまざまの魚類をくすねて来て、思うがままに食べさせたので、老人はすっかり満腹した。こうして数日が過ぎた。
老人は、「お前たち二匹は実に慈悲深い。これはもう菩薩といってよい」と誉める。
これを開いた兎は一所懸命になって、東西南北を求め歩いたが、なに一つ求め得たものはなかった。
兎は考えた。自分はあの老人を養おうと思って野山を歩いたが、野山は恐ろしくてならない。人間に殺されたり、獣に喰われたりして、不本意にも空しく命を失ってしまうのが関の山だ。
いっそのこと今この身を捨てて、あの老人に食べてもらって、永久に生死輪廻の世界を離脱することにしよう。
そう考えた兎は、老人のところに行って言った。
「私はこれから出かけて、おいしい物を求めて参ります。木を拾って火をたいて待っていて下さい」
そこで、猿は木を拾って来、狐は火を取って来てたきつけて、ひょっとすると何か取って 来るかもしれないと思って待っていると、兎は手ぶらで帰って来た。
猿と狐はそれを見て、「お前は何を持って来たというのか。思っていたとおりだ。うそをついて人をだまし、木を拾わせ、火をたかせて、それでお前があたたまろうというのだろう。憎らしい」と言う。
すると、兎は、「私には食物を求めて来る力がありません。ですから、どうぞ私の身体を焼いて食べて下さい」と言うなり、火の中に飛び込んで焼け死んでしまった。
その時、帝釈天はもとの姿に戻って、この兎が火の中に飛び込んだ姿を月の中に移し、あまねく一切の衆生に見せるために、月の中にとどめ置かれた。
されば、月の表面に雲のようなものがあるのは、この兎が火に焼けた煙である。
また、月の中に兎がいるというのは、この兎の姿である。
誰も皆、月を見るたびに、この兎のことを思い浮べるがよい。
【参照】 今昔物語 天竺部 巻第五 第十三 三獣、菩薩の道を修行し、兎が身を焼く語 (こと)