先日 高校からの同級生(昨秋 一緒に六甲山に登った)から電話があった。
2年前に 留学中のイギリスで突然亡くなった息子さんの作品集が完成したので送りたいとの事。
2年前(2008年12月)のお別れの会に参列した時、その会場が「葬儀」ではなく「個展」になっていた事にまず驚いた。
生前に息子さんが
「人は2度死ぬ。1度目の死は肉体的な死。
2度目は、存在(記憶)としての死です。
2度死ぬのはいやだから、自分という存在を
残したい、それも多くの人に。
だからなにかを作る職業に憧れる。」
という想いから写真家としての道を目指していた事を、両親が知っていて 少しでもその想いを叶えてやろうという親心だったと思う。
会場にはロンドンから空輸されてきた息子さんの遺体が「その作品展の主」として安置されていた。
彼の死を悼み 花を手向ける友人の数の多さにも驚いた。
あれから丸2年。
息子の誕生日にあわせてなんとか出版に漕ぎ着けたという遺作写真集が昨日届いた。
少しでも多くの人に、そして長い間 記憶に留めてもらいたいという想いから「自費出版」という形をとらず、一般書店でも流通可能な形での出版。
これによって国会図書館にも献本され保存されるという。
そしてその遺された作品を通して息子を表現しようとした親の想い。
作品は実に素直で ピュアなものが多く、おそらく作者の人柄が滲み出ているものと思われる。
作品の並びは年代順かどうかは判断できないが、いくつかのスタイルが混在。
僅か数年という短い期間に 多くのものを吸収し、成長していた軌跡が窺われる。
いよいよこれからという時に 志し半ばで逝ってしまった事は非常に無念。
ただ、こういう形で世の中に作品を遺せた事はまさに「生きた証」で きっと故人も喜んでいるに違いない。
印刷・装幀を含め 制作に携わった方々の愛情のこもった仕事振りが感じられるきめの細かい丁寧な作り。
生前の故人を知っている人たちにとって 永遠に彼の記憶を留める事ができる作品集。
「2度の死」は絶対にないと。
Requiescat in Pace
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Kenshi Nakao
中尾顕士。1983年(昭和58年)11月16日兵庫県尼崎市で出生。
1999年4月私立須磨学園入学。
2002年4月関西大学経済学部入学、翌年写真部入部。2006年3月同大学卒業。
2006年9月渡英、ボーンマス芸術大学入学。2007年7月同1学年修了。
1999年4月私立須磨学園入学。
2002年4月関西大学経済学部入学、翌年写真部入部。2006年3月同大学卒業。
2006年9月渡英、ボーンマス芸術大学入学。2007年7月同1学年修了。
2008年9月ロンドンミドルセックス大学芸術学部3年に入学。
2008年11月25日大学構内のフォトスタジオにて撮影準備中死亡。