日曜日, 1月 23, 2011

スネアドラム

高校に入ってから音楽に興味を持ち始めた長男。
現在クラブ活動(バレーボール)の合間にベースを練習中だが、どういうきっかけからかドラムにも興味を持ち始めた。
現在 僕の後輩からJack Bruceも使っていたという高価なベース(時価10万円)を借りている身分で「お金が貯まったらFender Jazz Bassを買う!」とか言っていたのに、最近急に「電子ドラムが欲しい」と言い出した。

僕が高校生の頃は Pearlの練習台(REMOヘッドの張ったやつ)でパカポコパカポコ練習に励んだものだが、最近の電子ドラムは凄い!
音もリアルで、ヘッドフォンで使用する限り 練習台よりも静かかも?

ドラムなら父親が資金援助するかも?という魂胆らしい。
(交渉保留中・・・)

で、予てより一度見せてくれといわれていた僕が使っていたスネアドラムを 今日押し入れの中から引張り出してきた。

実は次男坊が小学校の音楽会で「小太鼓」担当になったと聞いた時に、彼には見せたのだが長男は見ていなかったらしい。(ちなみに直近の音楽会では三男が大太鼓---2年前はカウベルとトライアングル)
そんなわけで実に5年ぶりに対面。
1979年モデルのPearlのJupiter Snare Drum。(http://goo.gl/8hJzN)
ブラス(真鍮)製の6インチ半の深胴モデル。(通常はスティール製あるいは木胴で5インチ)
独自のスナッピーのパラレルアクションを採用し、当時のYAMAHAの切削リム採用モデルと双璧を成す国産トップモデル。
これに当時流行りだった「REMOのCSヘッド」の対抗製品「LUDWIG ROCKERS Silver Dot Clearヘッド」に張り替えて使っていた。(CSは黒ドット)

息子 一目見るなり「スゲッ!」
持ってみて「重!」
手でヘッドを弾いてみて「音デカ!」

その後 バスドラ用のキックペダルも触ってみて「凄いな〜」を連発。

スティックケースの中のスティックの数にも驚いていた。
30年近く前のスティックだけど1本1本反りを吟味して買ったものだけに、反っていたのは僅か1本だけだった。(当時の価格で1セット650円から1500円)

当時は心斎橋の三木楽器でバイトしていたので2割引で購入できたが、スネア本体が定価58,000円、ペダルが15,000円、ドラムイスが12,000円、ジュラルミンケースが18,000円だったように憶えている。
(Silver Dot 14inchは4,000円位だったかな〜。何故かこれだけ記憶がない)
結局楽器店のアルバイトで稼いだお金は 全部その楽器店で使ってしまっていた。(レコード・オーディオ含む)

一時期は 叩く機会もなくなり、手放す事も考えていたが「どうせ二束三文にしかならないのなら」と押し入れにしまい込んでいたが、いつの間にか息子が使うかもしれない状況になってきた。

長男はベースがメインだと思うが、二男・三男もどうなるかわからない。
自分の使っていた楽器が子供達に受け継がれるってなんか嬉しい。

最近、長男・二男のiPod nanoに 頼まれてサウンドファイル入れる度にこそっとZZ TOPやEAGLES, JIMI HENDRIX, LED ZEPPELINなんかを混ぜている。
何曲かは聴いてくれているようだ。

しかし30年経ってもあまりにもコンディションが良かったのには驚いた。
手垢を綺麗に拭いて収納していたのが功を奏したようで、スナッピーもヘッドも緩めにしておいたので劣化はほとんどなし。

近々このスネアを使って久しぶりにジャムセッションしようかと画策中。

----------------------------------------------------------------------------------------------------
追記 (2012.01.08.)
実は昨年3月11日午前中に、長男は修学旅行で長野にスキーに行っていたけど、出発前夜にネットで注文したRolandの電子ドラムが届いた。
その後 ベースの練習時間よりドラム叩いている時間のほうが長くなり、現在は4つのバンドにドラムで参加しているらしい。
今度レパートリーに ZZ TOPの "Sharp Dressed Man" が候補に上がっているらしい。

先日の練習にはこのJupiter、重いのに持って行ってた。
今日は練習の帰りに 楽器店でPearlのダブルキックペダル注文してきたらしい。

手放さなくって本当によかった・・・。

日曜日, 1月 16, 2011

寒さでカメラが・・・

今日はこの冬1番の寒さ。(しかも記録的な寒さらしい)

朝8時過ぎに自宅を出た時、氷柱がぶら下がっていた。外気温 −1℃!

で、今日は三男が所属する少年野球チームが主催する「疾風カップ(Cリーグ)」の開会式。
チームの世話役の方から、写真撮影を頼まれていた。

現場は塚口の三菱グラウンド。(気温は0℃前後)
09:30からの開会式だったが テストを兼ねて 参加チーム(51チーム)の雑感スナップを09:10頃から始める。

09:40ごろ選手の入場が終わって、いよいよメインの主催者(監督)挨拶という瞬間、シャッター切ったらミラーアップしたまま戻らない! Err(エラー表示)が点滅! 一旦電源スイッチ切って 再度電源投入。フォーカス合わせてシャッター切るとまたエラー!!
何度かバッテリーを抜いて入れ直してみたりいろいろやってみるがシャッター切るとその時点で終わり・・・。
ベンチに置いていたカメラバッグを探し出して(他の参加チームの関係者がバッグの前に座っていた)、開けてみたが 今日に限って(仕事じゃないという事もあり)スペアカメラ持っていなかった。コンパクトデジカメも駐車場のクルマの中。思わず携帯電話のカメラで写そうと 思ったが それさえポケットから取り出す暇も無く・・・
続く 選手宣誓も「1枚でも写ってくれ!」という思いも虚しくすべてエラー・・・・

魔の3分間。

結局撮りたかった写真写せず。 (事前にカメラポジション、アングル決めておいたのに)

世話役の皆さんに冷や汗かきながら 事情説明とお詫び。
金を貰う貰わないに関わらず、引き受けた仕事は常に一生懸命やってきただけに すごく落ち込む。
(やはり心のどこかに気の緩みがあったのか? だとしたら「反省!!」)

開会式終了後 バッグに入れてあったスペアのバッテリーを装着したところ何事もなくシャッター切れる。連写もOK。(????)

当初カメラの故障を疑い、速攻で サービスセンターに直行する予定だったが、どうやら0℃近い気温でバッテリー能力が低下し、充分な電力をカメラに供給できなかったのが原因のよう。

後の祭りだが、あの時にポケットにスペアバッテリーを入れておけば・・・と思ったけど、果たしてその時にその対処ができたかどうかは???
なぜなら エラー表示が出てもカメラ装着の2本のバッテリー残量表示は86%と96%(前日に両方ともフル充電しておいたので。ちなみに100%でないのは寒さのため若干能力低下しているため)だったので そこまで咄嗟に頭が回ったかどうか。
正直 頭の中が一瞬 真っ白だったし。

今までほとんどの仕事は 撮影の進行具合を自分でコントロールできていたので、何かトラブルがあってもすべてその場で解決可能だった。
今回のような「待ったなし」はかなりプレッシャー。
(大体 バッグは手元に置いておけるのだが 今回は条件が厳しかった。素人さんが混在するとこちらが主体に振る舞えないので)

思い起こせば 今日のこのコンディション(外気温0℃前後の屋外)での撮影って 10数年前の雪の降る高野山以来。(NHK四国八十八ヶ所の仕事)
あの時はまだフィルムカメラだったけど、電源能力が低下してモータードライブの巻き上げ速度も遅くなり、シャッターも切れなくなった。
今回は画像もチェックでき、AFも作動し、シャッターもレリーズできたのにメモリーへの書き込み途中で電源供給不足が発生した模様。

動いていたからわからなかったけど、それほど今日の気温は低かったということでしょう。

あと3分 トラブル起きる時間が遅かったら何の問題も無かったのにと悔やまれる。(実は開会式の始まりが5分遅れ)

幸い「参加チームが一杯で大盛況」という写真は撮れていたので、「それで大丈夫です」と慰めてもらったけど・・・悔しい!!

その後 会場を尼崎魚つり公園グラウンドに移してAチームの試合撮影。
当初撮影の予定じゃなかったけど(金網フェンスが邪魔で撮影し辛い)、朝の失敗の埋め合わせのつもりで 脚立に登りっぱなしでフェンス越しに撮影。
海際のグラウンドで 風も強かったので 体感温度は氷点下!!

やはり最初、カメラの調子優れず。
対応策として、一方のバッテリーを外してポケットで保温しておき、適当なタイミングで交互に入れ替えて使えば問題がない事も確認できた。

撮影のタイミングで 数年ぶりに遭遇した大寒波。
最近の電子機器は寒さに弱い事を痛切に実感。
推奨使用環境10℃〜30℃とかよく目にするけど、これほど許容範囲が狭いとは思わなかった。(パソコンも40℃位で熱暴走するし)
結局は機械までも 人間が「快適」と思える環境でしか作動しないわけ?
人間は暑さ・寒さに耐えて頑張っても、機械の方が先にダウンしてしまう・・・。

少年野球の皆さんには大変申し訳ない事をしてしまいましたが、「仕事の時」でなかったのが自分にとってはせめてもの救いでした。
これを教訓に 寒い現場ではポケットに予備バッテリーと、更に緊急用コンパクトデジカメも入れておこうと決心。

自分の事ばかり書いたけど、友人T君のお嬢さん、今日センター試験だったようだけど あちらも寒くて大変だったんじゃないかな?


(ちなみに魚つり公園のトイレ、昨夜の冷え込みで水道管破裂したようで、水が出なくなっていた。--- 元の水栓を開くと水が吹き出すので止めてあった。自分の記憶にある限り数十年ぶり) 


帰宅後 知人から教えてもらった「ガラス戸へのプチプチ貼り」実行。(断熱効果高いらしい)

月曜日, 1月 10, 2011

LOOP (Anthology ~ In Memory of Kenshi Nakao)

先日 高校からの同級生(昨秋 一緒に六甲山に登った)から電話があった。

2年前に 留学中のイギリスで突然亡くなった息子さんの作品集が完成したので送りたいとの事。

2年前(2008年12月)のお別れの会に参列した時、その会場が「葬儀」ではなく「個展」になっていた事にまず驚いた。
生前に息子さんが
「人は2度死ぬ。1度目の死は肉体的な死。
  2度目は、存在(記憶)としての死です。
 2度死ぬのはいやだから、自分という存在を
  残したい、それも多くの人に。
  だからなにかを作る職業に憧れる。」
という想いから写真家としての道を目指していた事を、両親が知っていて 少しでもその想いを叶えてやろうという親心だったと思う。

会場にはロンドンから空輸されてきた息子さんの遺体が「その作品展の主」として安置されていた。
彼の死を悼み 花を手向ける友人の数の多さにも驚いた。

あれから丸2年。
息子の誕生日にあわせてなんとか出版に漕ぎ着けたという遺作写真集が昨日届いた。
少しでも多くの人に、そして長い間 記憶に留めてもらいたいという想いから「自費出版」という形をとらず、一般書店でも流通可能な形での出版。
これによって国会図書館にも献本され保存されるという。

亡き息子がレンズを通して描いた世界。
そしてその遺された作品を通して息子を表現しようとした親の想い。

作品は実に素直で ピュアなものが多く、おそらく作者の人柄が滲み出ているものと思われる。
作品の並びは年代順かどうかは判断できないが、いくつかのスタイルが混在。
僅か数年という短い期間に 多くのものを吸収し、成長していた軌跡が窺われる。
いよいよこれからという時に 志し半ばで逝ってしまった事は非常に無念。

ただ、こういう形で世の中に作品を遺せた事はまさに「生きた証」で きっと故人も喜んでいるに違いない。

印刷・装幀を含め 制作に携わった方々の愛情のこもった仕事振りが感じられるきめの細かい丁寧な作り。

生前の故人を知っている人たちにとって 永遠に彼の記憶を留める事ができる作品集。
「2度の死」は絶対にないと。


Requiescat in Pace

--------------------------------------------------------------------------------------------------
Kenshi Nakao
中尾顕士。1983年(昭和58年)11月16日兵庫県尼崎市で出生。
1999年4月私立須磨学園入学。
2002年4月関西大学経済学部入学、翌年写真部入部。2006年3月同大学卒業。
2006年9月渡英、ボーンマス芸術大学入学。2007年7月同1学年修了。
2008年9月ロンドンミドルセックス大学芸術学部3年に入学。
2008年11月25日大学構内のフォトスタジオにて撮影準備中死亡。

水曜日, 1月 05, 2011

花園ラグビー


母校関西学院高等部のラグビー部が 4年ぶりに地元の強豪報徳学園を破り、兵庫県代表として花園(第90回全国高等学校ラグビーフットボール大会)に出場しました。

自分自身 アメリカンフットボールがしたくて関学に入学し、中学の間はタッチフットボールをしていたのですが、高校では興味の対象がスポーツではなく音楽の方に向いてしまったため、高校スポーツ全般に疎い人間になってしまいました。

最近 息子達の野球、バレーボールや 昨年の母校野球部の甲子園出場とかで、徐々にアメリカン以外のスポーツも面白いなと感じ始めていました。

ラグビーは高校の体育の時間にちょっとやった程度で、基本的なルールも何も知りませんでした。
ただ 親友の弟が過去に神戸製鋼のチームで大活躍していたり、実家の隣の幼なじみの身内が報徳ラグビー部の監督していたりと、周りには何故かラグビーの話題がありました。

今回は カメラ店を経営する学年1年下の後輩に誘われ(あるプロジェクトの準備を兼ねて)、12/30の最初の試合に駆り出されました。
その時はラグビーの試合を観るのも初めてでしたが450枚ほど写しました。

1/1、1/3はさすがにお正月真っ最中で 親戚やなんかが集まるのでパスしましたが、今日1/5は優勝候補の東福岡との対戦という事で「行った方がいいかな〜」と思っていました。
午前中の長男の阪大附属病院(歯科)での診察(紹介状をもっての初診)の後、息子自身が「友達も行くみたいやし、花園行こかな」と言い出した事もあり、そのまま近畿自動車道をまっすぐ南に下り花園へ直行しました。

準決勝戦の2試合目で14:25キックオフでしたが、序盤から東福岡の足の早さと機動力に翻弄されました。先方はボールコントロールに若干の乱れはあるものの、一旦ボールを持って走り出したらなかなか凄いものを持っていました。
さすがメンバー15人中9人が高校日本代表候補に選ばれているだけあって、他のチームとは別格の強さでした。(昨年の覇者で、3年前も優勝しているらしい)
(関学も1人 選ばれていますが・・・)

途中 関学側の1人がペナルティで出場できない間にも立て続けに2本トライされました・・・。
しかもその後のキックを1回も外さない・・・。


苦しい展開でしたが何とか終盤に1トライとキックの成功で7点返しました。
他にもゴールまであとほんの数メートルというところまで攻め込んだのも2,3度ありましたが、結局トライに結びつかず・・・。

結果は7-42で敗北。奇跡は起きませんでした。
でも全国3位は立派です。

後輩達(というか長男の1年先輩、同級生)はよく健闘したと思います。
自分が通っていた30数年前には野球も含めて 想像もできない事でした。

今日は600枚強撮影。

月曜日, 1月 03, 2011

Corey Stevens


晩秋から年末にかけ、ルネッサンス音楽(Blackmore's Night)やケルト音楽(Celtic Twilight, Celtic Mystシリーズ)ばっかり聴いていたけど、今日ネット上で遭遇したCorey Stevensというギタリストで久しぶりにBlues Rockを聴く。
聴いた曲は "Gone Too Long"("Blue Drops of Rain" 1995収録)
ビックリした! Stevie Ray Vaughan そのまま!
影響を受けたとはHPでも書かれていたけど「ここまでやるか?!」という感じ。
で、大好きです。ここまでリスペクト丸出しの人。

YouTubeで見つけた動画では Stevie Rayと言うよりはE.Claptonの雰囲気が濃かった。


この流れでまたしばらくはBlues Rockを聴き続ける事になりそう。
(Jimmie Vaughanにフォローされているし)