最近この歳(?)になって 少しは冷静に世の中を見れるようになってきた。
昔からも気になっていたけど「流行」って一体何だろう?
学生の頃から夏の終わりになると「今年の秋の流行はこれ!」みたいな雑誌記事やテレビで目にしたことが多かった。(特にファッション)
販売員からも「これが流行りです」みたいなことをよく言われた覚えがある。
昔からファッションに限らず聴く音楽も食べるものも「流行」とは無関係だった(天邪鬼?)こともあり、さほど気にしていなかったが、最近 高3と中3の息子二人が「流行」を気にし始めたので改めて、この「流行」というものについて考えてみた。
「流行っている」と言われている時って「本当に流行ってる」って 実感したことがない。
「流行」を売りにしたモノってどこか他とは違う奇抜さがあって、本当にみんながみんなそれを着たら正直異様です。
「定番」と言われるモノは たとえそれをみんなが身につけていても 違和感がないことから考えると、やはり「流行りモノ」にはある意味で「毒」のような物が存在していると想像されます。
それ故 次のシーズンには「流行遅れ」となり恥ずかしくて着れなくなったり、音楽の場合だったらカーオーディオで窓開けて大きな音で聞けなくなったりします。(笑)
「定番」と言われるスタンダードなモノは長年の歳月をかけて研ぎ澄まされた絶妙なバランス感覚が息づいているように感じられます。
熟成された完成形とでもいいましょうか。
かたや「流行りモノ」は(全てがそうとは言い切れませんが)やはり基本がチープ。
「特徴がある」ということはその部分が秀でているとも言えますが、裏を返せば他の部分が貧弱ということでもあり、相対的に「アンバランス」と言えるかと。
その「不安定要素」が心理的に微妙な「魅力」になるのも確かです。
「毒」という表現を許してもらえるなら、この「毒」ゆえ 一般人は「興味はあるけど自分が手を出す勇気はちょっと・・・」みたいなことはあるのではないでしょうか。
そこに「今年の流行はこれ」みたいなマスコミ一体の「後押し」があると それこそ「赤信号 みんなで渡れば怖くない」みたいな心理になるのでは。
で、業界も 消費者の間で自然発生的に生まれた「本当の流行」に対処するには「生産活動」という面からは追いつくことができないので、先回り的に「流行を予測」するわけです。それは何ら自然なことで別に疑問視すべきことでもありません。
以前は「N.Y.発」「パリ発」「ミラノ発」みたいな海外の流行を参考にしていた雰囲気があるのですが、近年はあまりそういうキーワードを聞かなくなったような気がします。
ずっと昔に聞いた「流行色」の話ですが、塗料メーカーが何百色もの「色」を常時一定量以上ストックしておくのは経済活動的に非常に非効率なことは誰でもわかると思います。
そこで 社会の動向も踏まえて経営戦略的に「重点的に売る色」を決めたりするわけです。
工場での生産ラインをそれに合わせて動かすわけです。
これは非常に賢明な方法です。
それに影響されてクルマの新車の色なんかがそれにあわせて生産されるというのも納得の行く話です。
同じように衣料品や家電製品の色も影響を受けたりするわけです。
音楽の場合なんかでも「ある種のサウンド」がヒットすれば「柳の下のドジョウ」狙いで模倣品が出てくるのも予想できます。
一からモノを創らなくても ある程度の収益が予想できるうえに同じようなパターンで作れば生産コストも安くできるという理由も理解できます。
ここで重要なのは「生産コスト」を下げるのは大いに結構なのですが、そこに作り手の「ポリシー」「魂」「情熱」といったものがスポイルされ「虚無」状態になっているということです。
話は脱線しますが、'60〜'70年代にあんなに熱く芸術的ですらあったRock Musicが '80年代に入り巨大音楽産業に組み込まれた頃から急速に色褪せてしまったのと同じ事を感じます。
それまで全く興味のなかった人にとっては手に取りやすかったり、聴きやすかったりして敷居は低くなったのでしょうが、本当の愛好家にとっては悲しむべきことだったりします。
( 今でも '80年代に活動した多くのMusician達が 本当の自分のしたかった音楽ができたのかどうかと考えると ある意味彼らにとっては「不遇の時代」だったのかな、と思ったり・・・(評価基準は売上だけ))
話を戻すと、日本よりも先を行っているといわれる外国の他都市を参考にしているわけでもなく、タイムマシンで近未来に行ったわけでもないのに「これからの流行りはこれです!」なんて言える根拠は一体何だ?と思ってしまうわけです。
当の予想者は「あくまでも予想」でしょうが(天気予報みたいなもん?)、それを取り上げるマスコミや それによって経営を左右されるメーカーなんかはもっと強い「確信」が欲しくて、あるいは「それに賭けるしかなく」断定してしまうのかもしれません。
そこに「ちょっと冒険してみたい」「ちょっと変わったものが欲しい」という「基本は "みんなと一緒が安心" でも口では "人と一緒は嫌。個性的なものがいい!"」という微妙な日本人消費者心理を刺激して「時差による満足度」を与えてうまく世の中が回っているように感じたりします。
「時差による」と表現したのは、本当にそれを探し求めていた人は真っ先に入手するでしょうし、新しいもの好きな人もそれに追従するでしょう。
その後テレビや雑誌で芸能人が着ていたり持っているのを見たファンやフォロワーがそれを模倣して入手。
でも「流行」といっても本当に流行(10人中5人位所有)してしまっては商品としての付加価値は下がってしまうのでそのあたりで業界としては生産を打ち切り 次の流行づくりのために奔走するわけです。 最初から生産ロット数が決まっているのもいわゆる流行物の特徴だったりするのでしょうかね?
嫌な見方すれば 作っている側自身が「この商品は定番にはなりえない。この時期集中的に売って後はオシマイ。」と思っているのかも。
時々「いいな」と思う商品に出会うこともあるけど「ここがもう少しこうなっていたら完璧なのに・・・」と感じることも多い。
次期作にそれが反映されることもなく消えて行く商品も多い。
発案者がそれをしたいと思っていても 発売時期や製作コストなどの問題でかなえられないことも多いのではないかとふと思ったりすることもあります。
そんなこともあり、自分がモノを購入するときは「自分がそれを作るとしたらどういうものを作るか」「自分が採用する機能は」「それを作ったであろう人物と感性があっていそうか」などを考慮しています。
あと「道具」として自分に馴染むかどうか。身分不相応な高価なものは扱いに気を使って 結局使いこなせずに終わるとわかっているから。
不思議なもので「腫れ物に触るかのように大事に扱ってきたもの」よりも愛着をもって普段使いしているもののほうが長持ちしたりします。もちろん日常のメンテナンスは不可欠ですが。
「流行」に左右される必要はないけど「時代の流れ」には対処する必要性は大いにありだと痛感する今日この頃です。
(でも音楽趣味だけは頑なに '70年代(厳密には1968〜1976頃がピーク)を引き摺っています。自分の「血」になってしまっているからこればかりはどうしようもないです・・・)
で、結局「流行」の結論は出なかったですね。
一般的に「人から見られることが多い人」はやはり流行にも気を遣わなくちゃいけないんでしょうね
「流行」追いかけるのが好きな人はどうぞお楽しみ下さい。
ZZ TOPの3枚目のアルバム "TRES HOMBRE" のジャケットに書かれていた "In The Fine Texas Tradition ... " というフレーズがずーっと1979年以来 心の片隅で響いています。
ということで、僕はこれからも相も変わらず .... でしょうね。
My Favorites ;
Southern Rock, Blues Rock, Blues
I.W.HARPER, Zeller Schwarze Kats, Gilbey's Dry Gin
Tony Lama Western Boots, CWU-45/P
Apple Macintosh, Nikon
etc.
追記;
「流行」って業界が作っているように思ったけど、そのうち本当に流行するものってやっぱり消費者次第ですね。
更に考えてみれば「幾つかの選択肢」を業界が用意して、その中から消費者が選んでいるだけだったりして。
「流行」は消費者に必要なものではなく、業界の経済活動に必要な「お金の流れを作る原動力」と考えたらあまりにも「夢」がない?
本当にいいものは時代を超えて永く愛され続けるものだと思うけど、今の時代、そういうのを期待するのは所詮無理なのかな? (それなりの代価を払えば可能でしょうが 一般庶民には手が届かない世界の話になってしまいそう)
そういう意味では「ユニクロ」のやり方って面白そうだけど、残念ながら最近の商品コンセプトが僕にはちょっと違和感があり、買っていません。
そう考えるとやっぱり '70年代って面白かったね。夢があったし。(って実は 今は夢も見れない歳になってしまっただけだったりして・・・)