メンバーは一番多い時で Guitar×3, Bass×3(!), Keybords×2, Vocal(Female)×1, Drums×1の10人編成! (ホーンセクションなしの10人とは無駄が多い!) 一番まとまっていたのはG×3, B×1, Kb×1, Ds×1, Vo×1 +Perc.×1で関学の学生会館ホールで演ったときかな。 結成当時は柳ジョージの「雨に泣いている(Weeping In The Rain)」なんかを練習していました。 当時のベーシストは高等部当時から有名だったブルースバンド(Handsome Boys Blues Band)を経て、Brand "X"などのプログレをこよなく愛するテクニシャンでした。(本人曰く「俺 ホントはブルースあんまり好き違うんや・・・」彼は後にFender Precisionのフレットレスを買いました。) このメンバーでキーボードを主体とする女性2人のバックバンドとして宝塚市民会館でCAMELの "Lady Fantasy"というバリバリのプログレを演奏しました。(蘭丸団Part2 with Space-Salamander Kids) この時からベース君にある問題が・・・。 腕は文句なしなのですが、彼は練習遅刻の常習犯で(学校も出席日数不足で・・・)ベースがいないとせっかくレンタルスタジオ借りててもまともに練習できないわけで・・・。 実は宝塚市民会館の本番前のリハーサル、ベース君はいませんでした。(PAさんから小馬鹿にされている雰囲気はひしひし感じられました) 思っていた通り 彼は本番の数十分前になってあらわれ そしていきなりの本番。 携帯電話も存在しなかった時代。でも彼は遅れこそすれ、最後の最後には必ず現れる男でした。 我々も「来なかったらどうしよう」とは思っていなかったというのが 今から思えば凄い事だったかも。(信じてた、なんて口にするとなんか気恥ずかしいけど、やっぱり本当に信じてたんでしょうね) (その後彼はインド旅行をし、やたら傾倒してしまいました。わかるな〜、彼そのものやん!)
次はこのメンバーにギターを1人追加し(M氏の高校時代の後輩・Mick Taylorが好きなSG使い)、曲に応じてベーシスト使い分ける(実のところ練習スケジュールのあったベーシストにあわせて曲を選ぶ)などという変則バンドでした。 ベーシストの1人は塚口の楽器店つながりで、楽器のエレクトロニクス関係に詳しい男でした。 もうひとりはSouthern Soulの好きなDrumsもちょっと叩ける男(僕がMontrose, Van Halen歌う時はDrums担当)。彼は"SG使い"のゼミ仲間でした。 あと僕のお隣さんの音大生のお姉ちゃん(幼なじみ)とその友人のキーボード2 人。 そして当時幼稚園の先生になったばかりの女性ボーカル。 このメンバーで竹内まりや、T-Bird、The Doobie Brothers, The Rolling Stones, Montrose, Van Halenなんかをやっていました。(一貫性なし!) (PAN-AMERICAN HIGHWAY)
その後 男性Vocalistに替え、M氏はSlideテクニックを修得、ベースはSoul好きの男に固定、キーボードひとり入れ替わり(お隣さんの従姉妹で彼女もまた音大生)、三木楽器のバイトで一緒だった近大生のパーカッション(コンガ、ティンバレス)をゲストに迎え関学の学生会館ホールで The Rolling Stones, Joe Walsh, Dave Mason, Bobby Whitlockなんかを演奏しました。(キックペダルのベルトがブチ切れるというアクシデントあり ← でも最後の曲まで演奏させて下さったバックスバニーの皆さん ありがとうございました!) (マエダBand ← 演奏終了後M氏が勝手に「マエダBandでした」と名乗り...)